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2015.8.15

平和安全法制④『法的安定性こそ生命線(後編)』

こんにちは。平木だいさくです。

70回目の終戦記念日を迎えました。

先の大戦でお亡くなりになられた全ての方々のご冥福をお祈りするとともに、日本と世界の平和を築きゆくための決意を新たにする一日として参りたいと思います。

さて、前号の続きです。

前回は、平和安全法制に規定される『自衛権』行使のあり方が、果たして『法的安定性』(政府の憲法解釈との論理的整合性)を満たすものなのかを問いかけて終わりました。

具体的な説明の前に、この点を政府ではどのように整理してきたのか、振り返ってみましょう。

昨年の5月15日、総理の諮問機関である安保法制懇が、今後の安全保障法制の検討について提言をまとめ、報告書を安倍総理に提出しました。

そこで示されたのは、自衛権には個別も集団もなく、現行憲法下においても、集団的自衛権は全て行使できるというもの。

これは、集団的自衛権を行使できないとしてきた、従来の政府の憲法解釈とは真逆とも言える結論です。

その日の夕方、安倍総理は記者会見を開いて、次のように述べました。

「(安保法制懇の提言は)これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は憲法がこうした活動の全てを許しているとは考えません。したがって、この考え方(中略)は政府として採用できません。」

もう、おわかりですよね。

現在、これだけ騒がれている『法的安定性(論理的整合性)』の問題ですが、実は昨年の5月15日の時点で、既に決着済みの問題なのです。

抑止力向上の観点から、集団的自衛権の全面行使が望ましいという論調もある中で、総理はあえて「採用できない」と断言をしました。

全面行使を退け、あくまで自国防衛を目的とした場合に限定したのは、『法的安定性(論理的整合性)』を重視したために他なりません。

ここで示された検討方針のもとで与党協議が行われ、得られた結論が昨年7月1日の閣議決定であり、その閣議決定を“過不足なく”法案に落とし込んだのが平和安全法制です。

公明党が、昨年から続く議論の中で最も心を砕いてきた『法的安定性(論理的整合性)』は、まさに本法制の生命線。

それでは最後に、この『法的安定性(論理的整合性)』の具体的内容について、解説して参りましょう。

現在の政府の憲法解釈が初めて示されたのは、昭和47年の政府見解においてと言われています。

その結論は、「いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」というものでした。

平和安全法制においては、この結論部分の解釈を変更して、いわゆる『新3要件』に合致した場合、自国防衛を目的とした集団的自衛権に限り、行使できるとしました。

(結論を180度変えた訳ではなく、他国防衛を目的とした“フルスペックの”集団的自衛権については、今後も行使できないとした点は注意が必要です。)

大事なのは、その結論にいたる論理構成の部分です。

昭和47年の政府見解では、戦争の放棄、戦力の不保持を定めた憲法9条のもとであっても、「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするための必要な自衛の措置」を禁じるものではないとした上で、その措置が認められるための要件を以下のように定めました。

a)外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処するものであること。

b)国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置であること。

c)この事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまること。

あえてここに書きませんが、自衛権行使のための『新3要件』が、これら3つの要件と何ら矛盾しないことが、おわかり頂けると思います。

つまり、昭和47年に示された政府見解の論理構成は、そのまま継承されることで、『法的安定性(論理的整合性)』がしっかりと担保されているのです。

40年以上昔の安全保障環境のもとでは、結論部分において、個別か集団かといった二分法で議論するしかなかった訳ですが、急速に軍事技術が高度化する現代において、この二分法自体が意味を失いつつあります。

憲法の要請に応えながら、同時に、刻々と変化しつつある安全保障環境にも対応するという意味で、今回の憲法解釈変更は、私たちの平和で安全な暮らしを守る上で不可欠な決定なのです。