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2016.6.26

『メディアと共産党の無責任な憲法論』

こんにちは。平木だいさくです。

参院選公示後はじめての週末を迎えて、メディアには序盤戦の選挙情勢や世論調査の結果が踊っています。

まだ投開票日まで2週間もある時点で、結果に一喜一憂してもしようがないのですが、最近とても気になるのが『改憲勢力』という表現。

一体、どのような意味でしょうか。

憲法改正を党是とする自民党のことを指すのは理解できますが、公明党を『改憲勢力』に位置付けるのは、いくら何でも無理があります。

私たち公明党は、日本国憲法を、優れた憲法であり、戦後70年以上にわたって国民の間に定着してきものとして高く評価してきました。

とりわけ、「国民主権」「基本的人権の尊重」「恒久平和主義」という、日本国憲法の三原則については、将来にわたって保持すべきと、明確に表明してきました。

その意味では『護憲』と言ってもよい訳ですが、憲法の条文には“指一本触れてはいけない”という立場と区別する意味で、時代の変化、要請に伴い、新たな条文を加えていくことを妥当とする、『加憲』という立場をとっています。

こうした周知の事実を脇に置いたまま、与党=『改憲勢力』と一括りにする報道のあり方は、乱暴というより、ある種の意図を感ぜずにはいられません。

これと符合するのが、国会議員を対象とするアンケート調査です。

毎回、国政選挙の前には、メディア各社から大量のアンケート調査が届くのですが、答えようのない質問も多く、いっその事、回答するのをやめようかと思い悩みます。

今回の参院選においても、ある全国紙から以下のような質問が届きました。

「あなたは、憲法改正に賛成ですか?反対ですか?」

広範な事柄を扱い、多様な考え方がありうる憲法改正のようなテーマにおいて、具体的にどの部分を、どう変えるかを示さずに、クローズド・クエスチョン(「はい」「いいえ」だけで答えさせる)で問うのは、完全なルール違反。

なぜなら、どちらで回答しても、具体論に入った段階で、如何様にも批判できるからです。

「ここに落とし穴があるので、落ちてください」

と言わんばかりのこの質問に、あえて意義を見出すとすれば、それは、現時点における憲法改正の議論は、論点出しさえままならない、入り口の前の段階にあることを示唆していることでしょう。

現実的な改正のプロセスが、条文ごとに改正の是非を問うかたちでしか行いえない事を考えれば、どこをどう変えるのかもイメージできない現状において、憲法改正が選挙の争点たりえないのは明白です。

その基本的な価値観について、大切に思うひとの多い日本国憲法を、選挙の世論誘導に利用するようなことだけは、厳に謹んで頂きたいと思います。

さて、少し脇道にそれましたが、最後に1つ重要な問題提起をしたいと思います。

それは、『改憲勢力』という表現に、実は最も相応しいのは、日本共産党ではないのかということです。

共産主義という、現行憲法とは全く相いれない社会システムを目指しながら、『立憲主義』を標榜する自己矛盾。

憲法制定時に、「9条には賛同できない」と、全政党の中で唯一反対しておきながら、いつの間にか『護憲政党』を名乗る豹変ぶり。

共産党が『憲法』や『立憲主義』という言葉を振りかざすたびに、違和感を感じてしまうのは、私ひとりではないと思います。

そんな自己矛盾が露呈したのが、今月21日、日本記者クラブ主催の討論会で、自衛隊について見解を求められた際の、志位委員長の発言です。

志位氏は「憲法9条に照らして、自衛隊が憲法違反だということは明瞭」とした上で、共産党が政権に参画した場合、「急迫不正の侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊の活用をすることは当然」と臆面もなく言い切ったのです。

自衛隊を「憲法違反」としておきながら、何かあった時には、命をかけて国を守れ、災害救助に働けというのは、失礼を通り越して、バカにするのもいい加減にしろという話です。

そもそも、「違憲」である自衛隊を使って、行政権を行使することは、『立憲主義』違反そのものであり、論理矛盾の極致です。

結局のところ、共産党にとって、『立憲主義』や『護憲』は、自分たちの真意を隠すための方便にすぎず、安全保障は、民心の不安をあおるための道具にすぎないということでしょう。

冒頭、世論調査に一喜一憂しないと書きましたが、共産党の堅調ぶりだけは、心の底から心配しています。

無責任な勢力に、断じて政治の主導権は渡さないとの強い決意で、今週も党勢拡大に走り抜きます!