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プロフィール|PROFILE

米大手銀行・経営コンサルタント出身 38歳
平木 大作 (ひらき だいさく)

党青年局長、同国際局次長、同広報局次長。東京大学法学部卒、スペイン・イエセ・ビジネススクール経営学修士(MBA)修了。

国際金融を知る景気回復の即戦力!

東京大学法学部を卒業後、米大手銀行シティバンクに入社。激動する国際金融を肌身で感じ、金融のプロフェッショナルとしての実力を磨いた。今、日本が求める景気回復への即戦力です!

世界40カ国を訪れた抜群の国際感覚!

スペインの名門大学で経営学修士号(MBA)を取得。英語・スペイン語を駆使し、世界40ヵ国の現場を歩いてきた抜群の国際感覚の持ち主。世界とともに成長する日本をつくるための即戦力です!

企業再生のプロフェッショナル!

世界トップクラスのコンサルティング会社「ブーズ・アンド・カンパニー」などで、企業再生に尽くしてきた経営コンサルタント。中小企業の支援制度など、日本が成長し続けるための具体策を立案し、即座に実行できる即戦力です。

自己紹介|SELF-INTRODUCTION

生年月日 | 1974年10月16日、長野県生まれ
家族構成 | 千葉県市川市在住
趣味 | 読書、音楽鑑賞
心に残る本 | レ・ミゼラブル
座右の銘 | 百折不撓(ひゃくせつふとう)

経歴|CAREER

1993年03月 私立創価高等学校 卒業
1998年03月 東京大学 法学部 卒業
1998年04月 シティバンク(Citibank)入社
2008年05月 スペイン イエセビジネススクール経営学修士課程修了(MBA, IESE Business School, Spain)
2008年07月 ブーズ・アンド・カンパニー(Booz&Company)入社
2010年10月 シグマクシス(Sigmaxyz Inc)入社
2013年07月 参議院議員 初当選

役職|POST

公明党青年局長
同国際局次長
同広報局次長

ヒストリー|HISTORY

幼少期を長野ですごす

昭和49年10月16日、長野市生まれ。
父の仕事の関係で東京・目黒に転勤する2歳までを長野県で過ごしました。長野市内でしたが、家の横には田んぼが広がる田園風景。豊かな自然の中で元気一杯に過ごしました。忙しい両親でしたが、時間を見つけて安曇野のわさび田、更埴のあんずの里、美ヶ原高原の牧場など色々な所に連れていってくれました。


祖母の介護と剣道との出会い

小学4年生の時、父方の祖母が脳血栓で倒れ、介護の為に一緒に暮らすことになりました。祖母が亡くなるまでの7年間、弟と交代で身の回りの世話や車いすでの移動の補助をしていました。それまで気丈だった祖母が、時折弱音を吐くのに寄り添いながら、介護はする側の支援が必要なのはもちろんのこと、される側の心のケアも大切であることを学びました。

5年生にあがると、剣道を始めました。それまでの私は、毎日駆け回って遊んでいたわりに運動おんち。“しごき”とも言える稽古は本当に辛く苦しいものでしたが、半年も続けると、集中力と体力がつき、面白くなって練習にも熱が入るようになりました。腕前は区大会入賞レベルでしたが、その後も稽古を続けて三段を取得。社会人になってからも、一時期、アメリカ人の上司に教えていました。


世界を夢見て

初めて海外に行ったのは中学2年生の夏。学校の代表として、アメリカロサンゼルス近郊の街で2週間のホームステイを経験しました。御世話になったお宅には広大な野菜畑が広がり、牛と豚を飼育。犬、鶏、孔雀に至っては放し飼いでした。期間中、私が寝泊まりしたのは庭にとめてあったキャンピングカー。夜は空を見上げると、満天の星空に天の川がくっきりと見えたのに感動しました。

日本とは全く異なる生活と価値観に刺激を受け、コミュニケーションの楽しさに目覚めた体験でした。「もっと伝えたい、話したい」との思いから、帰国後も英語の勉強に熱が入りました。

創価高校進学後は「海外に雄飛したい」との思いが一段と強くなり、外交官を夢見るようになりました。進学先を東京大学に定め、3年時は授業が終わると自習室に駆け込んで、猛勉強に挑戦しました。帰宅後は、眠くなると布団の入った押し入れにもたれこむようにして立ったまま仮眠を取り、再び机に向かう日々でした。一年間の浪人を経て、平成6年東京大学文科一類(法学部)に入学しました。


世界的な金融機関での経験

外交官を志して入学した東大でしたが、進路を決めた平成9年は「金融ビッグバン」と銘打たれた東京の金融市場改革が始まった年でした。東京が世界の一大金融センターになるかもしれないという期待を胸に、当時「円高が進むと行列ができる」といわれたシティバンクの門を叩きました。世の中は平成不況のまっただ中でしたが、会社は急成長を遂げていました。リスクマネジメントや金融商品の開発などを担当し、優秀な先輩や同僚に囲まれて、忙しくも楽しい日々でした。

順調に見えた銀行員生活に、突如暗雲が立ちこめます。平成16年9月、一部社員の法令違反により、私の所属する事業部が業務停止命令を受けたのです。それから約1年半に渡る事業整理は大変困難な仕事でした。事件の全容を解明するため、全口座の取引内容を分析し、不適切なものについては謝罪と損害賠償のために顧客を1件ずつ訪問して歩きました。激務による過労と心労で体調を崩す社員も出てしまいましたが、「絶対に逃げない」と決め、土曜も日曜もなく、深夜まで働きました。

今振り返ると、この仕事は大変だった分、学びも大きいものでした。私はこの事業整理プロジェクトにおいて、チームリーダーに抜擢され、日本人銀行員5人とニューヨーク本社から派遣されてきた米国人弁護士5人からなるチームのマネジメントを経験することになりました。言葉や文化的な衝突もありましたが、無事決められた期限通りに事業閉鎖をやり遂げ、最後は皆で固い握手を交わしながら新たな出発を切りました。


経営コンサルタントへの転身

シティバンクでの経験を通して、企業の社会的役割と責任、そして経営のあり方を考えるようになり、平成18年、スペインのバルセロナへMBA留学のために渡りました。私が留学したイエセ・ビジネススクールは、英エコノミスト紙で何度も世界ランキング1位に輝く名門です。授業が終わると、チョコクロワッサンをコーヒーで流しこみ、翌日の予習のために図書館に駆け込む日々でした。思う存分勉強をやり抜き、また世界中に友人の輪を広げることができた2年間でした。

帰国後の平成20年、ブーズ・アンド・カンパニーという戦略系コンサルティングファームの東京オフィスに入りました。入社すると、驚く程優秀な人達が、寝る間も惜しんで働く姿に圧倒されました。徹夜あけにオフィスで朝日が昇るのを見ながら、自分の力不足を泣きたくなるような思いで、がむしゃらに仕事に打ち込みました。

知的にも体力的にも大変ハードな仕事でしたが、企業として存続するために、どのような手を打つべきか人知れず悩み、考え抜くCEOの孤独と向き合えたことは、自分の目線をあげる上でも貴重な経験となりました。その後、縁あってシグマクシスという創業間もない会社に転職しましたが、日本企業の再建や新興国展開というテーマを中心に、引き続き経営コンサルティングに従事して参りました。


新たな挑戦

今、政治という新たな舞台での挑戦を開始致しました。各地で多くの方たちとお話させて頂く中で、あらためて不況の深刻さ、そして東日本大震災の爪痕の深さを思い知り、責任の重大さに襟をただす日々です。どこまでも「大衆とともに」との立党精神を胸に、今日も全力で現場を駆け巡って参ります。

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