『東京五輪から考える「次の50年」』
こんにちは。平木だいさくです。
晴れやかに2014年、公明党結党50周年の年が開幕しました。
50年前、国民不在のまま政党が離合集散を繰り返す中、公明党は「大衆福祉」と「日本の柱」を掲げ、衆望を担って誕生しました。
以来、現場を飛び回りながら、大衆の声なき声を拾い、古い制度の壁や政治の悪弊に挑み続けた半世紀。今や福祉は政治の中心課題となり、公明党は政権与党の一角を担わせて頂くようになりました。
この将来を見通すことが難しい大変な時代に、私たち公明党の果たす役割と責任はますます大きくなってきました。
まずは自身が成長するとともに、党としても「次の50年」に向かって大きな飛躍ができるよう、今年も馬車馬の如く働いてまいります。
そして、「公明党が与党にいるから安心だ」「持ち味が発揮できている」「政権を任せて良かった」と言って頂ける。そんな1年にしたいと思います。
ところで、公明党が結党された1964年とは、一体どんな年だったのでしょうか?
実は皆さんもよくご存知の世界的イベントが日本で開催されました。
そうです。あの東京オリンピックが開かれた年なのです。6年後の五輪招致を勝ち取った直後なだけに、何か不思議な縁を感じますね。
高度経済成長期に開催された東京五輪では、戦後復興を果たし、国際社会に復帰した日本をアピールするために、急ピッチで首都圏のインフラ整備が進められました。
五輪開催にあわせて、首都高速道路の運用や東海道新幹線の運行が始まったのは有名な話です。
したがって、今日の首都圏地域の都市基盤は、1964年前後にかたち作られたということができます。
そして今、6年後の東京五輪に向けて再び、この首都圏が注目を集めています。
例えば、防災・減災の観点も含めて、道路をはじめとする都市インフラの長寿命化と再整備の必要性が指摘されています。
また、海外からの観光客受け入れのために、成田・羽田両空港の発着枠拡大や、空港へのアクセス短縮、24時間対応などもよく議論されるようになりました。
いずれも大事な取組みですが、忘れてはいけないのは、今度の五輪を日本の社会、経済にとって、どんな意味をもたせるべきなのかという問いです。
おそらく、これから2020年まで続く再開発プロジェクトは、今後数十年を通して最大の規模になると思います。
あれもこれもと、はやる気持ちはわかりますが、その取組みの多くが、五輪が終わったあと、「次の50年」の東京、そして首都圏の都市基盤として残ります。
したがって、五輪閉幕後もここで生活を営み続ける、私たち一人一人が、長期の時間軸で具体的に検討することが大事です。
「環境面で世界をリードする都市」 「障害者やお年寄りに優しいバリアフリー先進モデル都市」など
これからの首都圏を作るのは、お金よりも、私たちのアイディアと想いです。
今年も各地で、皆様と活発に議論できるのを楽しみにしています!
本年もどうぞ宜しくお願い致します。